中川根地域の文化財

        ☆ 県指定文化財 徳山浅間神社の鳥居スギ(徳山)

       ☆ 県指定文化財 田野口津島神社の五本スギ(田野口)

       ☆ 町指定文化財 水川阿弥陀観音堂(水川)

       ☆ 町指定文化財 水川阿弥陀観音堂 天井絵(水川)

       ☆ 町指定文化財 智満寺 木造如来座像(上長尾)

       ☆ 町指定文化財 智満寺 千手観世音菩薩立像(上長尾)

       ☆ 町指定文化財 千葉山智満寺 山 門(上長尾)

       ☆ 慈眼山観天寺(藤川)

       ☆ 霊源山大泉院 山 門(徳山)


県指定文化財 徳山浅間神社の鳥居スギ(徳山)

  徳山浅間神社の鳥居杉(夫婦杉ともよばれる)は、社殿の真正面に柱のように並び、天を衝くばかりのみごとな樹勢をもつ巨木である。
  この巨木の樹齢は約600年と考えられている。浅間神社は、古来病気平癒の神と言われるところから2本の夫婦杉は、
  その昔、願いがかなえれれたことを記念して植えられたものではないかという言伝もある。
  <向かって右側>
  目通り周囲5.3m、根回り6m、高さ37m、枝張り東西18m、南北15m
          <向かって左側>
          目通り周囲8.1m、根回り11m、高さ40m、枝張り東西23.8m、南北25.5m


  県指定文化財 田野口津島神社の五本スギ(田野口)

  津島神社の林の中に樹齢300年と云われる珍しい杉の巨木がある。
  この杉は1本の幹が途中から5本に分かれてそれぞれが同じような太さで成長している。
  目通り周囲6.3m、根回り8.2m、高さ40mに達している。
  地元でも、多くの人々が神木、また地の神様としてあがめており、その根本には、沢山のお札や、古くなった雛人形などが納められている。


  町指定文化財 水川阿弥陀観音堂(水川)

  有形文化財(建造物)
  所在地 川根本町水川467番地
  所有者 智満寺
   水川の阿弥陀堂は、天文5年(1536)に創建され、天保9年(1838)
  に再建されたといわれている。
   棟札によると、丙天保7年 遠州榛原郡志戸呂庄屋山郷水川村奉再建阿弥陀堂 願主 中村藤五郎申12月15日 大工 黒川喜右ヱ
門と記されている。
  間口3間3尺、奥行き3間3尺、こじんまりとした建築であるが左右の廊下のつきあたりにたて160センチ、横72センチの一枚板に獅子、周囲の欄間や壁などに数多くの精巧な彫刻が施されており、内部の天井には中心に竜、周囲には花鳥が描かれ、欄間には天女の姿が色彩豊かに描かれている。江戸時代末期の三間堂としての様式を残している近在にない美しい堂宇である。
このお堂の施主であった水川村名主中村藤五郎は、お堂再建のころは近郷近在のお茶を一手に集め江戸の茶問屋山本嘉兵衛(今の山本山)と取引を行うほどの川根地方屈指の豪商であった。
伝説によると、天保5年(1834)2月江戸に大火があり、山本山も災難にあった。その時焼け残った倉庫の中から阿弥陀如来の仏像1体が発見された。
後日、江戸に上がった中村藤五郎(中藤さん)が当主からこの仏像を譲り受け、これを勧請して今のお堂を再建したと言われている。
この再建のために中藤さんをはじめとした近郷の村人達は金百両を拠出した。
当時は。いわゆる天保の飢饉で全国的に食料が不足していた。川根地方も例外ではなく再建には大きな支障があったが、中藤さんはじめ信仰の厚い村人の熱意、川根、駿府、江戸の商人達の協力にあって困難を乗り越え、完成されたと言われている。天保9年9月と記された文書に、江戸日本橋茶問屋山本喜兵衛から金10両、右手水鉢、花瓶壱対造花等が寄進されたと書かれている。
明治初年、同家が村外に出たことから、祭儀や管理が水川区にまかされ、毎年旧正月1日を祭日にして祈願法要が行われている。
なおこのお堂には、本尊阿弥陀如来、脇侍として香王観音、准胝観音の三躰が祀られている。





  町指定文化財 水川阿弥陀観音堂 天井絵(水川)

天保9年(1838)村松以弘最晩年作とされ、当初の状態をそのまま伝えるものとして、貴重である。合計29面から構成されている。外陣
の格天井絵15面の中、中央のものには龍が水墨で描かれ(左)、他の14面は四季折々の花卉が著色で描かれている。外陣壁画は天女が6面、蓮華が4面著色で描かれている。


  町指定文化財 智満寺 木造如来座像(上長尾)

所在地 川根本町上長尾332
  所有者 智満寺

作者、由来等不詳であるが、明治時代の調査によると現在の智満寺前に阿弥陀堂があったといわれている。
顔面及び納衣の部分に損傷が見られ、腕の肘から前の部分の材質が異なっており後から補修されたと思われる。
現在の印相からいうと、阿弥陀如来であるが判然としない。像の高65cm、一木造の座像である。丸顔、螺髪等のつくりから平安時代
後期における作といわれ、近在にない貴重なものといわれている。

町指定文化財 智満寺 千手観世音菩薩立像(上長尾)

  所在地 川根本町上長尾332
  所有者 智満寺

像高2メートルに達する素朴な彫りの立像があるが、平安時代後期における一木造りで、壮大な気風が感じられる。第2手以下の手及び
本体下部に材質の違いが見られれ後年修理したものと思われる。
下台裏に「彩色 延享元年子霜月下旬日、京東洞院仏光寺下町、仏師新助、年23才、彩光金施主当村太田新八郎」と記されている。
 ※延享元年=1744年
観音堂の創建については明らかではないが、昭和53年現在の地に移される前は、智満寺の西m約200メートルほど離れた杉木立ちの
中に堂宇があり、その中に安置されていた。この観音堂は、棟礼によると、『奉造立観音堂壱宇、施主当村、太田伝兵衛、文政13年庚寅
正月』と書かれている。智満寺に残されている文書をみると、「文政12年9月(1828年)伝兵衛、金比羅堂を寄付して観音堂とする」
とある。なおそれ以前、天正12年には火災にあって焼け、文政11年6月には大雨にて倒れたことが記されている。
現在の観音堂は、智満寺の整地に伴い、衆堂を改造して造られたもので、なお、指定にはなっていないが、前立として、像高112セン
チメートル、蓮華の台座にのった美しい十一面千手観世音菩薩がまつられている。本尊の観音は彩色が剥げ落ちてほとんど跡を留めていなないが、前立の観音様は、はだ色の彩色がややあせてはいるものの、かなり彩色が残されている。


  町指定文化財 千葉山智満寺 山  門(上長尾)

  所在地 川根本町上長尾332
  所有者 智満寺
  木造、間口:2間、奥行3間
  様式は一門一口の禅宗様式の四脚門

江戸時代中期の建築で大型、豪壮、雄大な曹洞宗寺院建築の山門として川根地方では類をみない価値の高い立派なものである。昭和63年従来の茅葺きを銅板葺きとした。
智満寺の開山は平安時代と伝えられており、天台宗派の寺として建てられ、延徳3年(1491年)曹洞宗に改宗、現在の本堂は延亨2年(1745年)に焼失後、13世一音和尚により再建されたといわれている。        


 慈眼山観天寺(藤川)

 1446年頃、恋平という所を耕していたら、一体の仏像が出てきた。
  聖観世音菩薩であり本尊にし、そこに寺を建てたという。   


 霊源山大泉院 本堂(徳山)

  

所在地 川根本町徳山993
  所有者 大泉院
大泉院は、山号を霊源山といい、曹洞宗如仲派龍泉院(静岡市井川)の末寺である。
もと天台宗、住古「岩本山」の山号があるが、当時も大泉院であったか否か不詳である。古来、土地の豪族土岐氏(1330年代の武将、徳山
城主)の菩提を供養したと言われている。
無双連山山頂の徳山城跡南面の山地には、寺領として山林が伝承されているが、これについては、南北朝時代(1333〜1392)土岐氏
の寄進とみる以外、寺伝もないという。
天正年間(1573〜1582)の初期、井川龍泉院(遠州飯田崇信寺末)第2世により改宗されるが、寺伝の袈裟には天正16年(1588)
の年号が明記されている。
現在の本堂は、亨保年間(1716〜1736)第6世である演聴門説大和尚の造営で、この時、従来から本尊とされた千手観音を釈迦如来
に改めたという。
本堂須弥壇の両側を巡る欄千の裏側には、造営の記録が墨書されている。曰く「亨保5庚子年(1720)8月13萱(注)、大工衆遠州中
泉村(氏名消失)二宮村村(氏名消失)」など数名とみられるがいずれも氏名のみ墨が消えて判読が困難である。
(注)萱は屋根葺きの意と言う。本堂屋根の完成と思われる。
『中川根の屋号』より 中川根町町史研究会 1987.3        

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