お茶の歴史

お茶発生の地
多くの学者の一致した見解によると。
中国の南西地方、今の雲南省・貴州省一帯の山地でこの地帯はチベット山岳の東端にあたっている。


日本の歴史
日本の歴史上に喫茶の文字が最初に記録されたのは729年であるが、
その後平安時代の前期から約370年間にわたって、史書にお茶に関する記事がほとんど見られなくなってしまっている。
再出発は1191年、中国宋に学んだ僧「栄西」がお茶の種子を持ちかえり、
今の佐賀県の背振山に蒔いたとされています。そのご栄西が種子を「明恵上人」に贈り、
明恵はそれを宇治・伊勢・駿河・川越などに植えたと伝えられています。


静岡の歴史
明恵上人により駿河の清見寺に蒔いたのが発祥の地になっています。
また、1241年僧弁円(聖一国師)が宋から種子を持ちかえり、美和村足久保に栽植したと伝えられています。


川根における歴史
1859年横浜が開港され、お茶が産業として発展するようになったが、その当時すでに茶園として栽培されていたのは川根地方と旧安部郡の北部だけであった。
家康が駿府に在住した慶長以降、かなりの量が江戸へ送られたが、お茶が年貢として収められた文書が(慶長7年1602年)、中川根に残っている。
永谷宗円が1738年に蒸し煎茶の製法を考案したが、この製法が川根に伝えられたのが1835年、さらに改良された宇治製が伝えられたのが1851年である。


日本における喫茶の歴史
中国から伝えられたお茶は一般大衆の物とはならず、禅僧の眠気を除くため、また上流社会に愛玩され社交の具に用いられた。
北条氏の末頃になり闘茶(後の茶歌舞伎)が流行し足利氏の時代に、茶の湯の形式として発達した。
8代将軍足利義政は銀閣寺を建てるなどお茶を愛好し豊臣秀吉の時代に千利休により「茶の湯」として大成された。その後武士の間に伝わり庶民の間でも賞味される様になった。

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